祭りについて考える。
先日、幼稚園の近くにある熊野社の例大祭がありました。
(例大祭とは、氏神様(その地域を守ってくれている神様)に感謝を伝え、
地域の繁栄や五穀豊穣(農作物のゆたかな収穫)を祈るために行われるお祭りです)

この時期、地域のあちこちから祭りの音が聞こえてきます。
お囃子の音、掛け声、いつもとは違う人の賑わい、屋台のニオイ。
子どもの頃、祭りの日だけは、いつもの町が少し違って見えたことを思い出します。
『祭り』というものには、どこか特別な力があるような気がしてなりません。

日本人の暮らしには「ハレとケ」という考え方があります。
「ケ(褻)」は、普段の生活です。
朝起きて、仕事や学校に行き、ご飯を食べ、眠りにつく。
私たちが毎日繰り返している、いつもの暮らしです。
一方、「ハレ(晴れ)」は、祭りや年中行事、人生の節目、冠婚葬祭など、
日常とは異なる特別な時間や空間です。
晴れ着、晴れ姿、晴れの日、晴れ舞台といった言葉に表される「ハレ」です。
昔の人々にとって、祭りはまさに「ハレ」の時間でした。
いつもとは違う服を着る。
いつもとは違う料理を食べる。
いつもとは違う場所に人が集まる。
いつもとは違う音が町に響く。
そうやって日常から少し離れることで、暮らしに節目が生まれます。
「ハレ」と「ケ」が繰り返されることで、生活にリズムが生まれていたのだと思います
また、祭りについてあれこれ調べていたら面白い論文に出会い、こんなことが書かれていました。
祭りの日には、都市はいわば劇場のようになるのである。祭りを演じる者とそれを見て楽しむ者とがハレの時間と空間を共有する。また、祭りは、ケ(普段)の 時には都市の中の何の変哲もない界隈、 場合によってはさびれた感じのする商店街などにひと時の賑わいをもたらし、活力を回復させる。これが祭りの持つ不思議な力であり、伝統の力である。
(山口智 財団法人ダム水源地環境整備センター理事『都市と祭り』より)
さらに、こうも書かれています。
祭りは、人々を変身させる。祭りに参加する人たちは、普段の日にはそれぞれの職業に従事しているが、祭りの日には職業とは関係なく、それぞれの役割を受け持つ。
(同上)
つまり、祭りには
人や場所を日常から非日常へと変えてしまう力を持っている、ということが言えそうです。
さらには、祭りのために集まった人々は、
祭りによって年齢、立場、役職といった普段の境界線が一時的にゆるみ、
いつもとは違う関係性が生まれる場にもなっていると言えるかもしれません。
ちなみに、幼稚園に目を向けると
幼稚園教育要領の中には、行事の指導について以下のように書かれています。
行事の指導に当たっては、
幼稚園生活の自然の流れの中で生活に変化や潤いを与え、
幼児が主体的に楽しく活動できるようにすること。
これもまさしく「ハレとケ」です。
園生活の流れ(ケ)の中に、行事(ハレ)が入ってくることで、
子どもたちの生活に「変化や潤いを与え」ることが大切です。
綾南幼稚園でもこの考え方は大切にして行事に取り組んでいます。
秋はさまざまな行事があります。
その一つひとつにおいて、何が大切なのか?
何をもって子どもたちに「変化と潤いを与え」るのか?
これを問い続けることがきっと大切なのだろう、と地元のお祭りを通して感じました。
